偲ぶ想いと・・・新たなる出発と想い出を。

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ひとりごと・・

ちわわん

Author:ちわわん
知り合った多くの友人たちに。
感謝をこめて。

↑写真はぷりんちゃん15歳6ヶ月と20日(2015年6月20日没)と
3年前に5月7日に17歳で亡くなったその母ムーバです。

静岡市在住の。
ご近所の犬ともだちさんへ。
ありがとうの言葉を添えて☆

長い犬人生と映画など色々。
20年程前のホームページも合体しました。
これからもよろしくお願いいたします。


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『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その7
『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その7


私が好きな場面の数々・・

その一つは、ケン少年の海へと走るシーン。
なんとも、美しい。

その二つは、伊藤老人が、小春にと、買ってきた
ダイヤの指輪を、その手にはめてやるシーン。
小春は、それを、かっての、
数十年前の記憶と交錯してしまい、
出征して行った、夫と、重ねてしまうシーンだ。

たまらなく、せつなくて、
涙がでた。

その三つは、やっぱり最後のシーンが、心に残った。
形見となった ハーモニカを、ケン少年に届けにきた大木さん、
ハーモニカを手渡したあと、死んだ二人の待つ、坂を登ってゆく。
死んだ二人が、坂の上で、にこにこと待っているのだ。
とても楽しそうに待っているのだ。

いつもと変わらず、
いつもと同じように。

そして、音楽。
けっして、出過ぎない、この音楽が、
とてもあっているように思った。


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『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その6
『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その6


☆2002年に書かれている「映画感染」から。
”忘れられぬ人”と題されて、寺島進さんが書かれているので、
ここに載せてみました。


今、悲しくて寂しくてしようがない。
九月二十日、
映画『おかえり』(篠崎誠監督)で撮影を担当したカメラマン、
古谷伸(おさむ)氏が京都で亡くなられた。享年八十歳。
訃報を聞いたのは、その一週間後だった。

古谷さんはローアングルで有名な名カメラマン。
生前に何でローアングルが好きなんですか?と尋ねると、
「観客の目線になってスクリーンを見上げられるからだよ」
と子供のように無邪気に語ってくれたっけ。

古谷さんは、
オレが生まれる前から映画のカメラを回していた超ベテラン。
代表作に、山下耕作監督の『関の彌太っぺ』『緋牡丹博徒』、
加藤泰監督の『真田風雲録』『沓掛時次郎 遊侠一匹』、
先日亡くなった工藤栄一監督の『大殺陣』などがある。
ほかにもたくさんあるけれど、ここでは書ききれない。

偶然なのか、他界された二十日は、
何も知らずに篠崎誠監督の新作『忘れられぬ人々』の
完成披露のため都内の試写室にいた。

物語は、兵隊経験のある同期のオジイちゃんたちが
それぞれ自由に生活している中、
お年寄りを手玉に取る悪徳業者の手によって、
一人の戦友がダマされて殺害されてしまう。

戦友仲間は悪徳業者に命を投げ出す覚悟で
敵討ちに乗り込みに行く。
失われつつある義理人情の精神に感銘を受け、
『おかえり』以来待望の篠崎監督の新作が完成したこともあいまって、
この日はとてもうれしい時間を過ごせた。
そんな矢先ノ。

京都にある古谷氏の自宅へ弔問したい。
そんな一心で、篠崎監督、
『おかえり』のプロデューサーの松田広子さん、
助監督で宣伝担当だった遠藤万吏子さんと
東京駅で待ち合わせをした。

みんなの気持ちが一体となって手作りで誕生した
『おかえり』チームは、まさに映画の“戦友仲間”だった。

待ち合わせの時間に一時間も早く着いたオレは、
駅地下のソバ店に入り、
朝九時に不謹慎だったかもしれないが、
平静を装おうとビールを注文した。

それが逆に神経が余計高ぶるもとになって、
古谷さんの想い出が走馬灯のように駆け巡り、
サングラスの奥が汗でぬれた。

早く三人が来てくれないかなぁと、
また寂しくなり、弱い人間だと自覚する。

京都へ向かう新幹線の車中、
やっぱり戦友なんだなぁと再確認しながら、
いつの日か『おかえり』チームで
古谷さんの追悼映画を作りたいと思った。

“忘れられぬ人”だから。



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『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その5
『忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その5

※つづき。

☆ーー老人たちの対極に、百合子と仁を設定したのは?

僕らに、より近い、
戦争を知らない世代の人物を出す必要を感じました。

世間から、大人に見られながらも、
どこかフラフラと揺れ続けている、危うげな存在。
そもそも、『忘れられぬ人々』という題名は、
戦争体験を含む、過去の記憶を、
忘れようにも、忘れることの出来ない、
主人公の、老人達のことを、示すと同時に、
そんな彼らの、存在そのものが、
百合子や仁にとっても、
忘れられない人々であるということです。

ならば、若い二人の目に、彼らがどう映ったのか。
そこも、必要に思えた。
「あの人たちと話すと、元気もらうんだよね」
と、いう、百合子の台詞は、僕自身の実感でもあります。
多分これが、阿久津のような50代の人の目を通じて、
木島たちを描けば、もっと微妙な距離感が出たでしょうね。

親子位の年齢差だと、
恐らく上の世代に対する反発もあるでしょうし。
その意味で、この映画で、捉えたかったのは、
親子よりも、もっと素直に、
お互いの違いを、受け入れることの出来るような、
老人と、孫の関係かもしれません。

☆ーーケンは、孫の世代のさらに、下を象徴すると同時に、
「託された世代」という意味を持っているように見えました。

金山から木島へ、最後は平八から、ケンに手渡されていく
ハーモニカには、血塗られた歴史があります。
そして、木島が、死んでしまうことで、
その記憶は地上から永遠に消えてしまう。
でも、それと同時に、
ハーモニカが、人の手から手へと、託されていくことで、
最後の希望が、ケンの世代に伝わっていってほしい、
そういう思いが、僕にも、山村にも、ありました。

これは、あまりにも純粋すぎる考えかも知れません。
でも、ハーモニカの曲を、
「戦争よ、ゆれよ」という敵国であった、
アメリカの民謡にしたのも、
旋律そのものの美しさもさることながら、
何か、映画の最後に、国境や、時代を超えるような
微かな希望を残したかったからです。

☆ーー音楽もとても印象的でした。

脚本を書き出す前から、リトル・クリーチャーズに
音楽を、お願いしていました。
『おかえり』の時、実際に、彼らの作曲した、
ある曲を、使えないかと、真剣に思ったことがあったんです。
その後、ラジオのディレクターをしていた友人の仲介で、
彼らが『おかえり』を観てくれました。

全部を語りきらず、
余白を大事にしている点が、音楽と映画というジャンルを超えて、
自分が目指している方向と、共通する部分だったし、
ぜひ音楽を作ってもらいたかった。
脚本が出来る前から、何度か会い、
最初の方の、脚本を読んでもらったりしました。
編集が始まった段階で、デモ・テープがあがってきた時には、
本当に感動しましたね。
編集室でも、自宅でも、繰り返し聞きました。

・・・・
私の気に入った部分だけ、抜粋させていただきました。



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忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その4
忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その4


篠崎誠・『忘れられぬ人々』を語る☆
(映画の内容に関わりますので、
    必ず鑑賞後にお読みください)抜粋で。


☆ーー劇映画の2作目に、なぜ、
老人達を主人公にした映画を撮ろうと思われたのですか?

その答えになるかどうか、分かりませんが、
前作の『おかえり』を観た大学時代の或る友人に、
こんなことを言われたことがありました。
「篠崎は学生のこと、
死ぬまでに、三本の撮りたい映画あるっていってたね。
一本は、精神のバランスを崩す人の映画。
あと、老人の映画と子供の映画。
そのうちの一本を撮ったんだね。」と、
じつは、自分でも言われるまで忘れていたのですが。

☆ーーその三本の共通点は、何なのでしょうか?

何なのでしょうね。彼らが、
いずれも社会の中心にはいないということかも しれません。
どうも、そういう人たちに、気持ちがいくんです。
「年寄りのくせに」とか、
「まだ、子供なんだから」とか、
乱暴な括り方をされて、
その人自身のいろんな面が、排除されてしまうことに、
我慢がならないのです。

特に、年配の方に関しては、
自分がいわゆるお爺ちゃん、お婆ちゃん子だった、せいもあって、
親しみがある。
まだ、幼稚園にあがる前に、祖父の膝の上で、
晩酌の肴を食べたりしていたことも、覚えていますし、
反抗期になって、親に反発するようになっても、
「孫を連れて歩いているお婆さん」を見かけると、
切なくなるような、変な子でした。

☆ーー子供の映画より、老人の映画が、先になりましたが。

企画自体は、『おかえり』より先にあったのですが、
現実的には、『おかえり』の方が先に実現し、
劇場公開がひと区切りついた頃、
やはり、次は、この企画だと思えたんです。

大きかったのは『おかえり』で、
お二人の大正生まれの方との、出会いがあったことです。
一人は、古谷伸キャメラマン。
黒澤明監督の『姿三四郎』の撮影助手などを経て、
東映に移って、キャメラマンとして、活躍された方です。
残念ながら、昨年、亡くなられてしまいました。

もう一人が、今回も、出演していただいた、
俳優の青木富夫さん。
お二人とも、大変な経緯をされていながら、
現場でも、バイタリティに溢れ、
人に対する気遣いが、繊細で、いろんな意味で、助けられました。

そんなこともあって、余計に、
生きいきとした年配の方々を、主人公にした、映画を作りたいと
思ったんです。

☆ーー『おかえり』以降、劇映画以外の作品も撮られましたが、
足掛け五年かかったわけですね。

『おかえり』が、公開された96年7月には、
すでに脚本にむけて、具体的なアイデアなどを書き始めました。

それこそ学生の時には、
「社会的には現役をリタイヤした人たちが、
もう一度、意地や誇りをかけて、悪い連中をやっつける」
という西部劇や、時代劇で、御馴染みの物語を想定していたのですが、
いざ、書き始めると、それが崩れていって・・・。

一番、大きな問題が、戦争でした。
この映画は戦争を、メインテーマにした作品では、ありませんが、
大正生まれの人々を、主人公にする異郷、そこは避けて通れない。
僕も、共同脚本の山村玲も、1960年代生まれで、
実体験として、戦争というものをかいくぐっていない。

かろうじて、自分達の親が、戦争を実体験として知っている世代です。
そこで、当時の資料を読み漁ったり、
戦争経験者の方々に、取材をさせていただきました。
取材すれば、するほど、戦争体験、戦争に対する思いは、
一人一人全く違うもので、
決して、一般化出来ないことがわかりました。

しかも、戦争を経験して、恐らく二度と暴力に加担したくないと、
思っている人達が、
再び、暴力を振るわざるをえなくなるような状況とは何なのか?
何に対して、どういうことで、闘いを挑むのか?
何度も暗礁に乗り上げ、出口が見えず、
脚本作業を中断せざるをえないことが度々ありました。

一方、現実の世界では、この数年で、
信じられないような事件が、相次いで、
これまでの映画が、描いてきたような、勧善懲悪の物語は、
完全に、リアリティを失った。。
結局、山村と足掛け3年あまり、20稿近く書き直しをしました。

※つづく。


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忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その3
忘れられぬ人々』2000年 篠崎誠監督 その3


☆確たる価値観を持てない僕らの時代☆

黒人とのハーフの子と、朝鮮人の日本兵・・
略・・
ーー有田さん
私たちの日常の中には、例えば障害者がいあり、
在日朝鮮、韓国人がいたり、ハーフがいたりする。
それはもう 当たり前でしょう。
それなのに、テレビドラマなんか、いままでそういうことと、
しっかり向き合ってこなかったと思うんですよ。
なにしろ、そういった人たちは、ほとんど出てこない。

だから、この映画の登場人物の配置は、
非常に意味のあることだろうと思いました。

・・・・
ーー篠崎さん
ひょっとすると、自分があの酔っ払っている世代の人
なんじゃないですかね。怒られてる世代(笑)。

ーー有田さん
じゃ気持ちとしては、怒っているというより、
むしろ怒られてるサイド?

ーー篠崎さん
映画のセリフのように
「今の若い奴らは」と言いたくなることも、多いんですけど、
やっぱり自分達は、こんなのでいいのか?って、
自問自答しながら生きている。

たあ、だからと言って、
大正生まれの人たちが育った価値観を、
丸ごと共有はできないと思うんですよ。
それは全然違う問題であると。

つまり、僕らは「これだ!」という確たる、
価値観をもたないままに、
生きていくしかないんだって、ことですね。

ーー有田さん
怒るときにはおかしんだよ、という立場。
背筋がシャンと伸びているというのでしょうか。
そういう世代が、描きたかったということはありますか?

ーー篠崎さん
それは やっぱり、一番やりたいことの一つでした。

☆「自由」な社会のなかの見えない力☆

・・・略
ーー篠崎さん
僕らの学生の頃、豊田商事の衝撃的な事件がありまして、
あの結末は、凄い衝撃でした。

印象に残ったのが、騙されていたある老人の、
「でも、自分の応対をしてくれた人は、
自分の血がつながっている子供より、自分に親切だった」
という談話でした。

彼らも、二枚舌を使い分けているんじゃなくて、
本当に、自分は善意の事をやっているんだって、
確信していると思います。

そういう意味で、阿久津役には、
いかにも時代劇の悪代官みたいな人ではなくて、
むしろ人間として、魅力的な人をと思って、
篠田さんをキャスティングしたんです。

ただ、唯一危惧していたのが、
最後の殴り込みが暴力肯定みたいに、
みえやしないかということでした。

自分でつくっておいて、変におもわれるかもしれないですけど、
僕自身が、この出来上がった映画を観て、
なんか感情を引き裂かれるんですよ。

木島たちに、
「立ち上がれ!」って、いう気持ちと。
たとえ義憤で立ち上がるとしても、
やはり紛争や、戦争と、同じ論理ですよね。

やられたらやり返す、と。
ただ、人を騙したり、傷つけたり、殺めたりすることは
絶対にいけないことだと思いますけど。
人間って、そういうふうになってしまう危険性は、
いつも孕みもってる存在でしょう。
そこを見てみないフリをするものどうかと。

ーー有田さん
僕もね、見終わった感想で、あれっと、思ったのは
最後なんですよ。

どうして、ああなったのか、
なぜあのようにしか、ならなかったのか。
見たときは、あれっと、思いながら、
でも、今になって思うと、そういえば、
豊田商事の結末は、この映画と、どこか重なってくる。

ーー篠崎さん
脚本を書いていると、
登場人物に対して、どんどん愛情が出てきますんで、
なんとか、もっと穏便に、すます方法はないのか?
とか、
知恵を働かせて、悪い奴らを懲らしめる方法は?
とか、考えました。

それは、ひょっとして、僕がドキュメンタリーではなく
フィクションにこだわっている強い意味と、
重なるかもしれないんです。

現実に、太刀打ちするような、強い、なにかが、
ほしいんでしょうね。
でも、一方で、映画は、夢物語でなくちゃいけないとか、
ハッピーエンドでなくてはいけないというのは、
僕は、ハリウッド映画がおこなってきた洗脳じゃないかと、
思っていて、そうではない結末を探りたかった。

シェイクスピアの古典劇なんかもそうですよね。
暴力と血で書かれていても、
それが、メインテーマではなくて、
その向こうに、なにかが浮かび上がってくる。

それと、ラストについては、唐突だという意見もありましたが、
僕には、現実の事件も起こるときは、
唐突だったという感覚があるんですよね。

普通は、そのあまっりにも理不尽であったり、
唐突であったりすることに、耐えられなくて、
わかりやくすく物語を作る。
でも、本当の事件が最初に起こる時っていうのは、
こうだと思って。

ーー有田さん
いろいろとお話をうかがっていると、
この『忘れられぬ人々』が、どういう層の人たちに訴えかけ、
また、どんな観客を集めるのかと言うことに、
とても、感心があるんですよ。

篠崎さんは、作り手だから、言いづらいかもしれないけども、
どんな層の人たちに、観てほしいと思っていますか?

ーー篠崎さん
どうしても、主人公がご年配の方々ですし、
テーマにも戦争があるので、高い年齢層が多くなるとは思うんですけど、
個人的な思いとしては、
戦争の記憶を、一切もたない人たちにも、見てもらって、
どう、感じたか、聞いてみたいなと思っています。
と、いうより、本来映画って、開かれたものであるべきで、
一部のマニアのための、ものでは、ないと思うんです。
だから、本音を言えば、あらゆる世代の人に観てもらいたい。

ーー有田さん
・・・略
さっき気がついたのですが、
篠崎さんの37歳というのは、
ちょうどオウム世代なんですよ。

心やさしいその世代が、殺人に向かわざるを得なかった。
そこに物理的な強制があったわけではありません。
そんなことを考えると、昔よりも、もっと難しい状況がある。
つまり、カルトに行く人と、行かない人といるわけじゃないですか。
僕なんかは、絶対入らない。だけど、入る人もいるわけでしょう。
その違いは、どこにあるのか。
これは、いまだ解決されていない問題です。

一見すると、「自由」な社会。
ところが目に見えない力で、
いろんなところへ引っ張られている現実がある。
そこをどう、乗り越えていくのか。
そう考えた時に、老人世代のヴァイタリティとか、
気遣いは貴重です。
そこが、どんどん、壊れてきている。
だからこそ こういう世代がきになるんですよ。


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